無視するのが大人だと思うが

腹が立ったので書いてみる。

世界開放系
なぜエロマンガエロゲーのような批評の対象たりえないのか?
http://sekai.bblog.jp/entry/235929/

まず、リンク先のコメントでも指摘されているが、批評の俎上にあげられやすいことと、批評に値することとは別問題。なにやらコメントでフォローしてはいるが、そんな世に出た批評の数の問題じゃなく、この人がエロゲーよりエロマンガを低く見ている(それも訳の分からない理由で)ことは明らかだろう。しかも、この人がはてなでやっている質問を見れば分かるかと思うが、そもそもokamaエロマンガを描いていた*1ことも知らないようなレベルの知識で、エロマンガ全体が分かっているかのような物言いをすることは明らかに傲慢*2

以下、重箱の隅をつついてみる。

インタラクティビティというのは、受け手がその世界に干渉可能であるか、積極的に関わることができるか、ということです。
エロゲーは選択肢とか分岐とかいう方法で作品世界へ受け手の意思を反映できる。
これを、エロゲーにはインタラクティビティがある、と言います。
エロマンガにはインタラクティビティはそれほどありません

エロゲーにおいては、プレイヤーの選択によって後の展開は確かに変わる。エロゲーインタラクティブというのは、まあ間違いではない。でも、「受け手がその世界に干渉可能であるか」というなら、それはエロゲーだってNOだろう。選択肢を選んだ先にあるのは「予め」シナリオライターが用意していた文章*3であり、それを受動的に楽しむプレイヤーでしかない。ゲームにおける分岐はあくまで定められた分岐でしかなく、その外には何もない*4。選択によってプレイヤーが自分の望むとおりの展開にできるエロゲーなんて、聞いたこと無いぞ。いやまあ私は年に2本もやればいい方なくらいエロゲーには疎いので、ひょっとしたらそういうエロゲーがあるのかもしれないが。

たとえばヒットしたエロゲーはかなりの頻度で、エロ表現だけを除いてコンシューマー機へと移植されていますが、エロマンガではこのような例はほとんど見られません。
これは何を意味しているのか、と。

「ほとんど見られません」どころか多分皆無だと思うが、そんなのはビジネスの構造の問題と、制作に要するコストの問題であって、物語の構造とは何の関係もない。逆にエロ要素を追加したPC版が発売される『To Heart2』なんて例もあるわけだが。
これは何を意味しているのか、と。

率直に言って、(一部の)エロゲーにおけるエロ表現は、ただエロゲーという流通経路に物語商品をのせるだけのための物でしかないのではないか、ということです。
ほとんどのエロマンガではこうはいきません。
これは前に書いた、『物語の構造とエロ表現が分け難く結びついている』ということです。
もしくは、構造に魅力がなくてエロを取ったらもう無いも残らない(原文ママ)、ということでしょうw

『物語の構造とエロ表現が分け難く結びついている』ことがそんなに悪いか?それは構造が強固だ、という証なのではないか*5?そしてそれと「構造に魅力がない」ことはイコールか?その上「エロを取ったらもう何も残らない」って語るに落ちてるな。エロのみが構成要素である作品の存在意義を全否定するあたりで、この人が、自分では意識していないかもしれないが、エロマンガエロゲーの下に置いているだけなく、エロ表現を他の表現の一段下に置いていることが透けて見える。だったら最初からエロマンガエロゲーも語るな。あと真面目な文章でwを使うな。嘲笑されているようで非常に気分が悪い(まあこれは難癖だな)。

まあ、エロゲー物語論については正直、東氏らによって語り尽くされた感があるのであまりどうこう言う気にはなりません。

「文化的批評」とやらの代表が東浩紀ですか。そりゃ高尚なこって(まあ、東浩紀は私も嫌いじゃないが)。

まあ最終的に彼に言いたいのは、語りたいならもっとエロマンガ読めよ、という一言だな。

*1:過去形にするべきじゃないか?

*2:okamaエロマンガ経歴は、まあ最近のファンなんかだと知らないことがあるけど、この人の場合、語っていることの大きさと知識レベルの乖離が大きすぎるので、非難されてしかるべきだろう

*3:とか、「予め」原画師やグラフィッカーが用意していたCGとか、「予め」作曲家が用意していた音楽とか

*4:別にそのことを非難しているわけではない、それが当然の真理だと言いたいだけだ

*5:ここは意図的に誤読している。エロマンガに要求されるのは、限られたリソース=ページ数をいかにうまく活用するか、ということであって、そのためセックスに至る物語部分にページ数を割くことが出来かねる、というのは、エロマンガというビジネスが持っている構造上の弱点である、と言えなくもない。雑誌のカラーページを貰ったエロマンガが、話の流れをぶった切ることになるのを承知で、本来なら後半ページに来るはずのセックスシーンの一部を冒頭に持ってくる、ということもよくある。友人のエロマンガ家は、一般漫画とエロマンガの違いを評して、エロマンガは一つのもう終わってしまった物語の結果を描くのだ、と言ったことがあるが、蓋し名言である